とある終電の夜
終電に乗り、今日も一駅寝過ごした。
疲れと酔いで身体が鉛のように重い。
改札口を出て、階段を降りたところで聞こえる酔いどれの宴の声がえげつなく脳内に響き渡り、僕の内側に黒い雫が零れ落ちて、ゆっくりシミになっていく。
一歩、また一歩歩くたびに一日の憂鬱が脳裏をかすめた。
街は明かりを失い、ひっそりと静まり返っている。
こんな田舎では、駅前でさえ侘しい。
飲み屋は一足早く暖簾を下ろし、盛っている若者を歓楽街へと解き放つ。
僕のような独り身はまるで認識すらされない。
24時間営業のはずのコンビニも、駅前のあそこは先月から深夜営業をやめたようだし、駅から少し離れたあそこのラックには一つもおにぎりが置いていない。
街は僕を受け入れてはくれず、月の光はそんな僕の孤独を冷たく照らしていた。
少し歩くと川が流れていた。人工の浅い川だった。
思わず僕は橋の上で立ち止まって顔を上げ、気持ち程度の街灯に照らされた闇の連続をぼんやりと眺めた。
その深い闇は、もう少し僕が苦しくて、もう少し僕がおかしかったら、僕をずぅーっと奥の地の底まで連れて行ってしまいそうな、そんな漆黒だった。
けたたましい男たちの声が僕の虚ろな世界を一瞬にして搔き消す。
男たちは自転車に乗って僕の横を颯爽と過ぎ去り、およそ深夜には似つかわしくない大声で、「また明日」などと叫びんでは散り散りになっていった。
僕はどうしようもなく、彼らを殴りたい衝動に駆られた。
やつらをどうしようもないくらいボコボコにしてやりたくなった。
そうでもしないとこの、虚しい、荒んだ生き物は報われないような気がした。
嫉妬だったのだろうか。
別に友達が欲しいわけじゃない。
別に恋人が欲しいわけじゃない。
そんなクソみたいに薄っぺらい言葉を吐くつもりは1ミリもないけれど、僕はそんなものに振り回されるのには、もう疲れてしまった。
逃げていることくらい、そんなことくらい分かっている。
でも、もう、疲れてしまった。
それで終いだ。
過去も現在も未来も、人間の関係なんてどうせ一時的な演技に過ぎない。
陳腐だけど、それでもあんなものはまやかしだ。
気を紛らわして、強くなったと錯覚するための幻だ。
なんだか、とっても厭な気分になり、そしてこれ以上考えると僕のこの黒いシミが、いたいけであどけない哀しみになってしまうような気がして、僕は考えるのをやめた。
顔をあげるとぺんてるが見えた。
さびにまみれた看板はとてもみすぼらしくて、胸を締めるような郷愁に襲われた。
あのバンドの魂の叫びが耳元で聞こえてくるような気がした。
音楽は生でなければならない。
命を、削らなければならない。
みんな大人になっていって、魂の削り方を忘れて、整ったものに静かに同意を重ねていく。
激烈なものは若さであり、恥ずかしいものである。
みんな、気取って大人しくなって、音楽を忘れていく。
音楽は生である。
音楽を忘れるというのは死に等しい。
僕からすれば、みんな死んでいる。
今日も一日何もない時を過ごした。
僕は死んでいた。
死とは意味のない時を過ごすことである。
今日一日という時は、僕にとって何の意味もない時だった。
人は忘れられた時に死ぬ、と誰かが言った。
誰かが誰かを覚えている時、その誰かは誰かの中で意味を持った時を過ごす。
生きている。
忘れられるということは、誰にとっても意味のない時を過ごすということだ。
死んでいる。
僕は今日、確かに死んでいた。
僕は音楽で生き返る。
命を削る時、僕は生きている。
今日、僕の耳、目から入ってきた音は紛れもなく死んでいた。
みんなは張り付いた笑顔で、小刻みに身体を揺らしていた。
僕は、何か叫びたくなった。
突然、走り出したくなった。
世界はそれを許さなかったけれど、それでも僕は何か訴えたかった。
そうして僕は、ひっそりと赤信号を無視した。