ある日常のお話

日常生活で感じたことをつらつら書き連ねるエッセイ風ブログです。Twitter:@ryusenji_narita

うつくしいせいかつ

マンションの灯りがそれぞれの扉を照らす時、きっと生活は平穏のもとでゆったりと流れ続けているのだろう。


僕の力の及ばないような幸せがあの部屋で流れていて、少し漏れ出ている甲高い喘ぎ声さえ、すうっと日常の一部に消えていく。


外の道路を歩く僕の小さな雄叫びのような鼻歌は、誰の耳にも届かないまま無邪気に散っていく。


あの夜通し光り続けているレンタルビデオ屋には淫らなビデオがずうっと経営を支えて手に取られるのを待っているのに、そんな健気な映像作品はのれんの奥に隠されて、感謝されるでもなく売りに出される。


男たちは恥ずかしそうに彼女たちをカウンターに出し、店員さんはニンマリともせずにそれを受け取って無機質にレジを打つ。


その一つ一つの音が日常に溶け込んでいく。


僕らの日常なんてそうやってできている。


マンションの灯りはまだ美しく輝いて、人の営みをあたかも清潔なもののように映し出しているけれど、その奥には隠されるべきものが隠されているわけで、なんだか綺麗事のようなサムい心地がじんわり心の奥底を冷やしてやまない気がした。


耳から流れ込む誇張のないまっすぐな比喩に身を委ねて、感性は昂りを見せ、知らず知らずのうちに一世代前のようなセピア色の人生がすっとフラッシュバックするようである。


素直な言葉は耳につき、こびりついて離れない。


つくづく美しさとは人間の本能に訴える正直さであり、素朴な味付けが舌を肥やすかのように純朴な美は感性をペールに彩るのだなと思う。


白いイヤホンに作り出された世界は耳を離れて、現実が耳に流れ込んでくると、サヨナラを言わない僕は、泥まみれのユニフォームで一つ綺麗なロゴが孤独に光るように、つまはじきにされた。


ふとピンクの写真が脳裏に浮かんだ。


僕は黒い民族衣装を身にまとい、あの子は淡々と真っ青なドレスを着て撮った写真だった。


現像された写真はピンク色に染まっていて、眼に映る黒いシミや青いインクなどは僕にはある種の幻想的妄想に思えた。


繋がれた手から紡がれるハートマークは一見真っ二つに割れているようで、ようく見るとあと数ミリほどの繋ぎ目がようく見ないと分からないほどに薄く二人を繋いでいた。


僕はなんだか分からなくなってあの娘のつけたハートマークを赤紫のマーカーで縁取って、中を黄色く塗りつぶしてさつまいものようなどうでもいいものにしたい気持ちに駆られ、ペンを取ったが彼女はもういなかった。


ハッと気づくと街灯に誘われた害虫のようにマンションの灯りに誘われて、僕は彼女の扉の前にいた。


ポケットの中の白いイヤホンは相も変わらず君の好きなヒップホップを垂れ流し続けているが、頭の中には君の好きな、甘ったるくて飲み込めやしないあの物語が流れている。


だらんと手首を床に差し出し、口を開けて耳を澄ます。


君の声が少しずつ、少しずつ近づいてきて、いつのまにか僕の耳元で囁いているようなそんな気がした。


君の甘ったるい舌足らずの声が、くっきりと、はっきりと、この耳を響かせていく。


反響がだんだんと大きくなり、僕の脳も次第に彼女の存在を認めはじめて指令を出す。


耳は解釈の働きを呼び覚まして、感性を下に置いてその音の連続が紡ぎ出す意味をゆっくりと、じっくりと紐解いていく。


それは紛れもなく、くすんだ虹色の快楽であり、住宅街を縦横無尽に駆け巡る彼女のどこか涼しげな悲鳴は、僕にとっての絶望に他ならなかった。


高鳴る鼓動は冷たく血を巡らし、身体は足早に行進を始める。


渇いた口から出る臭い吐息が僕の心を後ろへと引き下げ、足取りは重くなっていく。


もたもたしていると、いずれ君の叫びが僕の胸を貫き、嘘なんて気づきもしないようにそっと施しを加え、凧糸ほどの細さの真空管に僕の心が絞め殺されそうになってしまうような予感がした。


気づいた時には僕の手には一握りの小銭が握られていて、もう片方の手は情けなくポケットをまさぐり、視線は色とりどりに整頓されたゾッとするほど美しく、おぞましいパッケージに向けられていた。


後ろでのれんが小さく揺れた。


僕は逃げるように、曲げられた肘にかかった青い買い物カゴにそり立つ衝動に従って次々と作品を入れ込み、そそくさとのれんをくぐってカウンターに向かった。


店員さんは相変わらずニンマリともせず、機械のように無機質にレジを打ってはレシートを廃棄する。


ポイントカードは今日も出せなかった。


堂々と店を出た僕は、そっとポケットから白いイヤホンを取り出し耳につける。


すると、さっき流れていた世界がまた脳内に広がった。


僕は凝縮された欲望を片手に、深夜の砂浜のように静謐な道端を我が物顔で闊歩した。


耳元で流れる世界は、ついさっきとは様相を変え、純朴に紡がれていたはずの言葉たちは、僕の中で毒々しく変わっていく。


眼から頬につと流れる涙は、忙しい毎日に差し込んだ光明のように僕の心を温めあげると同時に、思わず耳を覆ってしまうほど残酷なまでに冷たく僕の心を凍らせるのであった。

とある終電の夜

 

終電に乗り、今日も一駅寝過ごした。

疲れと酔いで身体が鉛のように重い。

改札口を出て、階段を降りたところで聞こえる酔いどれの宴の声がえげつなく脳内に響き渡り、僕の内側に黒い雫が零れ落ちて、ゆっくりシミになっていく。

一歩、また一歩歩くたびに一日の憂鬱が脳裏をかすめた。

 

街は明かりを失い、ひっそりと静まり返っている。

こんな田舎では、駅前でさえ侘しい。

飲み屋は一足早く暖簾を下ろし、盛っている若者を歓楽街へと解き放つ。

僕のような独り身はまるで認識すらされない。

24時間営業のはずのコンビニも、駅前のあそこは先月から深夜営業をやめたようだし、駅から少し離れたあそこのラックには一つもおにぎりが置いていない。

街は僕を受け入れてはくれず、月の光はそんな僕の孤独を冷たく照らしていた。

 

少し歩くと川が流れていた。人工の浅い川だった。

思わず僕は橋の上で立ち止まって顔を上げ、気持ち程度の街灯に照らされた闇の連続をぼんやりと眺めた。

その深い闇は、もう少し僕が苦しくて、もう少し僕がおかしかったら、僕をずぅーっと奥の地の底まで連れて行ってしまいそうな、そんな漆黒だった。

 

けたたましい男たちの声が僕の虚ろな世界を一瞬にして搔き消す。

男たちは自転車に乗って僕の横を颯爽と過ぎ去り、およそ深夜には似つかわしくない大声で、「また明日」などと叫びんでは散り散りになっていった。

僕はどうしようもなく、彼らを殴りたい衝動に駆られた。

やつらをどうしようもないくらいボコボコにしてやりたくなった。

そうでもしないとこの、虚しい、荒んだ生き物は報われないような気がした。

 

嫉妬だったのだろうか。

別に友達が欲しいわけじゃない。

別に恋人が欲しいわけじゃない。

そんなクソみたいに薄っぺらい言葉を吐くつもりは1ミリもないけれど、僕はそんなものに振り回されるのには、もう疲れてしまった。

逃げていることくらい、そんなことくらい分かっている。

でも、もう、疲れてしまった。

それで終いだ。

過去も現在も未来も、人間の関係なんてどうせ一時的な演技に過ぎない。

陳腐だけど、それでもあんなものはまやかしだ。

気を紛らわして、強くなったと錯覚するための幻だ。

なんだか、とっても厭な気分になり、そしてこれ以上考えると僕のこの黒いシミが、いたいけであどけない哀しみになってしまうような気がして、僕は考えるのをやめた。

 

顔をあげるとぺんてるが見えた。

さびにまみれた看板はとてもみすぼらしくて、胸を締めるような郷愁に襲われた。

あのバンドの魂の叫びが耳元で聞こえてくるような気がした。

音楽は生でなければならない。

命を、削らなければならない。

みんな大人になっていって、魂の削り方を忘れて、整ったものに静かに同意を重ねていく。

激烈なものは若さであり、恥ずかしいものである。

みんな、気取って大人しくなって、音楽を忘れていく。

音楽は生である。

音楽を忘れるというのは死に等しい。

僕からすれば、みんな死んでいる。

 

今日も一日何もない時を過ごした。

僕は死んでいた。

死とは意味のない時を過ごすことである。

今日一日という時は、僕にとって何の意味もない時だった。

人は忘れられた時に死ぬ、と誰かが言った。

誰かが誰かを覚えている時、その誰かは誰かの中で意味を持った時を過ごす。

生きている。

忘れられるということは、誰にとっても意味のない時を過ごすということだ。

死んでいる。

僕は今日、確かに死んでいた。

 

僕は音楽で生き返る。

命を削る時、僕は生きている。

今日、僕の耳、目から入ってきた音は紛れもなく死んでいた。

みんなは張り付いた笑顔で、小刻みに身体を揺らしていた。

僕は、何か叫びたくなった。

突然、走り出したくなった。

世界はそれを許さなかったけれど、それでも僕は何か訴えたかった。

 

そうして僕は、ひっそりと赤信号を無視した。

【短編】『ちょっとした話』

 

昼の食堂は嫌いだ。死体にアリが群がったかのように、人ごみでごった返している。

なぜこんなに狭く作ったんだろう。毎年3000人程が入学するということは分かっていながら、300人も入らないような食堂をたった一つしか作らないとあっては、その浅はかさに空いた口が塞がらない。

政治家の木偶の坊を呼び講演会をやるくらいなら、そのお金を食堂やトイレの改修に回した方がよっぽど有益だと思う。

人が多いというだけでも、吐き気を催すくらいだが、一番の原因はまた別にある。

とにかく、昼の食堂は地獄だった。


しかし、なぜか今俺は女と二人でその地獄にいる。

目の前にいるこの女は、名を甲斐雅と言い、同じサークルの同期である。いつも、本を読んでばかりで、こいつが喋ったところをほとんど見たことがない。

今日は、そんな無口な甲斐が「ちょっとした話がある」と誘ってきたというので、物珍しさから誘いに乗ったのであった。

一体なんの話があるというのか。というのも、出会ってからはや10分ほどが経ったが、甲斐は本を読むばかりで一言も話さないのである。かくいう、俺もあまり話す方ではないし、それに甲斐自身に対して別段興味もない。

これといって会話の糸口も掴めぬまま、沈黙が続く。

 

はたから見れば、男女二人、一つ食卓を囲んでいる様子は、カップルにでも見えるのだろうか。付近を通りかかる人々の数人がこちらを一瞥してニヤつく。向かいの席では、チェックシャツを着た眼鏡の男がチラチラとこちらを覗いては中指を立ててくる。

 

実にくだらないと思う。大学生にもなって、その程度で興奮したり、怒ったりできるなんて、幸せにも程がある。どうして、みんなこんなに色恋沙汰に執着するのだろう。恋愛なんて実にくだらないものに、どうしてそんなにエネルギーを注ぐのか。

大体、運命の相手だなんて言葉自体薄気味悪い。しょうもない男女が二人で、あたかも自分たちがマンガの主人公であるかののように錯覚し、やれ運命だの奇跡だの抜かす。男が女をおだてると、女が男を褒め返し、最後には世界で一番幸せだと言わんばかりにキスをする。

ほんとうにしょうもない。

昼の食堂にはそんな気持ち悪いやつらがのさばっている。これが、この地獄に近づきたくない一番の理由だった。

 

そんなことを思っていると、隣でカップルがいちゃつき始めた。黒髪で眼鏡をかけたボーダーの男と、ツインテールにマスクをした、フリフリの女だった。女は好きなアニメの話を延々と繰り返す。男は女が「凄くない?」というたびに、下心にまみれた意志のない相槌を打つ。女は承認さえあればいいのだろう。更に興奮して、マスクを外す。女のつばが巻き散るが、男は嬉しそうに顔を近づけた。

最も嫌いなタイプのカップルだった。

こいつらの姿を視界に入れたくないし、もう声ですら耳に入れたくなかった。

 

そうした負の感情が、ふと口から漏れた。

 

「どいつもこいつも色恋にうつつを抜かしてばかりで、気持ちが悪いな。」

「なんだ。嫉妬か。」

甲斐は、顔も上げずに呟いた。間髪入れない煽りに少し面を食らう。

「嫉妬?俺は閉じた世界で主人公を気取る精神が嫌いなだけだ。恋愛なんてくだらない。」

「ほう。なら、君は人間じゃないな。」

いつもは無口なくせに、やけに突っかかってくる。人を呼び出しといて、それはないだろう。

「ようやく口を開いたと思ったら、随分な言い草だな。」

「事実を言ったまでだよ。」

とことん煽り尽くすらしい。面白い乗ってやろうじゃないか。

「何が事実だって?酷い偏見だな。薬でもやってるのか?」

「つまらん煽りだ。頭の悪い君に説明してあげよう。いいか、人間は生殖活動をするから生物だ。」

「待てよ。じゃあ、生殖活動をしなければ生物じゃないとでも言うのか。知ってるか?アメーバだって生物だ。」

「細かい奴だな。よく考えてみろ。雌雄が番になって交尾しないと生殖活動じゃないのか?違う。細胞分裂だって、そいつらん中じゃあ、十分生殖活動だ。」

なるほど。言い方は気にくわないが一理ある。どうやら、自分でも気づかないうちに、人間本位の考え方をしていたらしい。

「悪かったよ。じゃあ、俺はこの先誰ともSEXできないって言いたいのか?それで、人間じゃないと?童貞にだって人権はある。」

「君はもう少し頭を使ったほうがいい。」

余計なお世話だ。俺はそこそこ頭を使って生きている方だと思う。少なくとも、人を地獄に呼び出しといて、話を切り出すわけでもなく、ようやく話したと思ったら、本から目も離さず煽り倒すようなやつに言われたくはない。

甲斐は、不機嫌な俺に構わず、話を続ける。

「生殖活動が生物を定義づけるなら、人間を定義づけるのはなんだ。他の哺乳類だって、交尾をする。人間と何が違う?」

俺はもう甲斐が何を言おうとしているか分かっていた。しかし、ちっぽけなプライドが俺の口からそれを言うのを拒んだ。

「人間は恋愛をするから人間なんだ。他の種には真似できない。恋愛こそが人間の本質だ。恋愛の欠けた生殖活動は、SEXではなく、交尾に過ぎない。恋愛を拒む行為は、人間をやめるに等しい。」

キザなやつだ。これだから、俺は女が嫌いなんだ。ここまでコケにされては、俺も反撃せずにはいられない。

「なら、お前は人間なのかよ。」

「答える義理はないな。」

「お前なあ。いいか、人間は倫理があるから人間なんだ。法律なんてのは後々整理された行動規範に過ぎない。倫理はそれ以前から、人間の行動規範になっていた。なぜか分かるか?種の保存に繋がるからだ。なぜ人間はここまで繁栄した?なぜこんなに個体数が多い?それは同種殺しが種の保存を妨げるとして、倫理の自制が働くからだ。倫理があるからこそヒトは人間なんだ。勝手に呼び出しといて、悪口を言いたい放題。挙句、揚げ足を取られたら逃げるようなやつは人間とは言えないよなあ。」

まずい、まくし立てすぎたか。一通り言い終え、我に返って甲斐を見る。甲斐は未だに本を読み続けていた。心なしか、頬が赤く染まっている気がした。謝ろうかと思ったその時、甲斐が口を開いた。

「戦争は、、、戦争はどうなる。あそこで人を殺した者は人間ではないというのか。」

「ああ。この理論で言えば、そうなるな。そもそも人間を人間たらしめているのは理性だ。人間は理性を持って物事を考えられるが故に、人間だ。恋愛や倫理も所詮、理性の延長上にしかない。じゃあ、人が倫理を超越するのはどんな時か分かるか?理性が本能に負けた時だ。怒り・恐怖・不安・空腹、、、。こうした本能に身体が支配された時、人間はヒトになる。人間を殺すってのはそういうことだ。」

もう甲斐は本を閉じていた。まっすぐ俺の方を見ている。甲斐の顔をこんな近距離からしっかりと見るのは初めてだった。色白の肌に整った鼻筋、艶やかな唇、そして透き通った目。甲斐は美人だ。こうして見ると、その事実がまざまざと分かる。俺は何かから逃げるように目を逸らした。

「そうか。そうか。面白い考えだな。もっと君の見解を聞かせてくれないか。」

甲斐はさっきとは別人のように、目を輝かせて話す。その純粋さに惑わされそうになるが、毅然と話を戻す。

「ちょっと待て。俺の話はいいんだよ。お前の論理からして、お前は人間なのかって話だ。どうなんだよ?」

言ってから、自分がとんでもない質問をしていることに気づく。これじゃ、甲斐に恋愛しているかと聞いてるも同然じゃないか。

「いや、待て。それはどうでもいい。忘れてくれ。それより、そもそもお前はなんで今日俺を呼んだんだ?」

甲斐は少し下を向いて、クスリと笑った。頬が熱くなるのを感じた。そうして、甲斐は席を立った。

「最初の質問だが、私は人間だよ。紛れもなく、今この瞬間も。いや、この瞬間こそ最も人間かもしれないな。二つ目の質問だが、ここは少し騒がしい。君が良ければ、場所を変えよう。どこか、物静かで、二人でいても怪しまれず、人間らしくいられるところに行かないか?」

甲斐は平然を装っていたが、身体は正直だった。

「そんなに暑いか?顔、真っ赤だぞ。」

「うるさい。早く準備をしろ。先に行くぞ。」

足早に人混みを抜ける甲斐の背中を見ながら、俺は自分が人間になっていくのを感じた。

街の記憶

 

偶然目白駅を降りた。

今まで一度も降りたことはなかった。

右も左もわからないので、自然、案内板を見る。

 

その日やるべきことはもうすべて終えていた。

どうせ、やることもない。


気分転換にと、池袋駅まで歩くことにした。


すると、どうやら駅の方面に庭園があるらしい。

駅へ向かうついでに、寄ってみようと思い、庭園を目指し歩き始める。

道はすぐに駅前から外れ、住宅街に入っていった。


知らない住宅街を歩くことが好きである。


住宅街には静かに生活の時が流れる。

同じ静けさでもオフィス街のような、冷たく、乾いていて、急かされるような仕事の時ではない。

止まっているかと錯覚してしまうほどゆっくり流れる、ほんのり暖かい、そしてどことなく仄暗い時である。

 

そんな生活の時が心地よくて好きだった。


住宅街を歩きながら、私は、私のものではない日常の中に入り込んでいく。

そうして、日常の中の非日常を貪る時に感じる、あの切ない、ノスタルジックな感傷に浸る。


そんな知らない誰かの生活を、肌身に感じながら歩いていると、いつのまにか目白庭園に着いていた。


入場は無料のようだ。

門をくぐる。


庭園は、切り取られたかのように静まっていた。

まるで、時空を超えたかのような錯覚を覚えながら、顔を上げる。


すぐに右手に美しい池が見えた。

その周りには、池を見守るかのように木々が身を乗り出している。


見渡すと、ポツリポツリ人がいた。

中には外国人もいて、みな思い思いにくつろいでいる。

あまり広くはない園内からすると、少し窮屈だった。


落ち着ける場所もなく池に沿って園内をまわっていると、半周ほどしたところに小さな滝があった。


流水の音が心にすっと沁みていくのを感じる。

都会の喧騒を忘れさせるような滝の流れに、思わずして心を洗われた。


暫く無心に滝を眺めていたが、狭い道にずっと居座り続けるわけにもいかない。

そろそろ、庭園を後にして、池袋駅に向かおう。


もう半周足を運び、門をくぐると、再び全身が都会の空気に包まれる。

すると、不思議と今まで遮断されていた生活音が戻ってくる。


甲高い音がしてきた。

踏切を電車が通過するらしい。

ふと、踏切の方を見やる。


新築だろうか。

右手に白塗りのモダンな家が凛と建っている。

 

その向かいには、昭和の感を残す、ところどころ黒ずんだ外観の赤い屋根の家がひっそりと、それでいて存在感を放ちながら佇んでいた。

 

踏切のはるか向こうには、高層ビルが見える。
無論、後方には庭園がある。

 

街並みは重層的で、一瞬でいくつもの時空が身体を過ぎて行く。

 

視線を落としてみる。

 

踏切のすぐ前には先ほど庭園にいたであろうカップルが、仲睦まじく空の写真を撮っていた。

 

彼らの後ろにはベビーカーを手に握りしめ、踏切の向こう側にいる夫とお兄ちゃんを待っている親子がいる。

 

そのまた彼女らの後ろには、パンパンの買い物袋をカゴに入れて、おばあさんが自転車に乗っていた。

 

遠く後方からから、中学生くらいだろうか、子どもらしき無邪気な声が小さく響いている。

 

重層的な街並みに、重層的な生活がある。

 

一番前のカップルは、いつか結ばれ、子どもを授かり、気づいた時には子育てを終え、お母さんは買い物袋をパンパンにして家で腹を空かせて待ちぼうけている育ち盛りの孫のために、自転車で踏切を越えるのだろう。

 

一つの視界に、いくつもの時間が折り重なって、街となる。

 

建物も、人間も、それぞれに重みの違う歴史をもつ。

 

段階を異とするすべての存在が、各々の歴史を営んで、"今"を織り成している。

 

私は、その日偶然目白駅を降り、偶然目白庭園に惹かれ、偶然足を運んだに過ぎない新参者である。

 

そんな新参者も受け入れながら、街は今、歴史を刻んでいる。

 

偶然も街の記憶に巻き込まれていく。

 

どんなに何気ない瞬間でも、街はあなたを覚えている。

適応と恭順

 

「住めば都」というよく知られたことわざがある。

 

これは「どんなに辺鄙なところでも住んでいればいずれ都のように住み心地が良くなる」という意味だ。

 

転じて今は「どんなにいやな環境でも長く居続ければ次第に慣れて気にならなくなる」という程度の意味で使われることが多い。

 

これは人間の性質をよく表している。

 

そもそも、人間に限らずとも生物はすべて、厳しい生存環境を生き抜くために、自らを環境に適応させる能力を有している。

 

そして環境に適応できなくなった生物は、自然と淘汰されていき、世界からその姿を消していく。

 

生き残った生物も、再び変化しゆく自然に適応し、適応し得ないものは敗者としてこの世を去る。

 

その後も生き残った生物の間で際限なくセレクションは続き、全ての生物が死滅しうるまで、その連鎖は終わることはない。

 

この適応能力の有無における淘汰の流れは、生物全体の営みの縮図とも言える人間社会においても変わることはないのである。

 

子は基本生まれ落ちた瞬間、家庭という小集団に属することになる。

 

成長すると、保育園や幼稚園という新たな集団への所属が決まり、突如家庭とは全く持って異質な環境下に晒されることとなる。

 

そこでは、友人関係という小社会への参入が半ば義務付けられており、子供は慣れない環境で公共性を身につけ、未知の社会を生き抜いていく。

 

その後、成長するにつれて、小学校・中学校・高校・大学や専門学校と環境を改めながら、その度に新たな環境に適応し、自らの属する社会の中で生き抜く術を学ぶ。

 

そうして、学校という準備施設において適応のノウハウを学んだ子供は、最終的に社会に旅立ち、荒波を生き抜く大人になるのである。

 

しかし、時にこうした一連の流れから零れ落ちるものがいる。

 

それは、学校という閉鎖社会において特に顕著に見られる。

 

学校の定めたルールに束縛されることを厭い、不良行為に走る者たち。

 

教室という閉鎖空間において絶対的な法規となるスクールカーストに集団で飲まれることから発生したいじめ行為により、登校不可となり、家に引きこもる者たち。

 

大学という自由空間において、放任に耐えきれず、誘惑に負けて単位を落とし、学校を去っていく者たち。

 

けれども、そんな彼らも、例えば暴走族や2ちゃんねる、バイト先などの新たな環境に適応しながら、日々生き抜いているということは変わらない。

 

人間はどれだけ逃れようとも、結局、どこかで誰かと繋がってしまうものだ。

 

我々は、そこで新たに生まれる環境に絶えず適応しながら、生からのドロップアウトを避け続ける他ないのである。

 

ただし、気をつけるべきことがある。

 

過酷な現代社会を生き抜く上で、適応は確かに大切だ。

 

しかし、周囲も環境に合わせるということは果たしてそのまま適応となるのか。

 

例えば、インディーズ・バンドを考える。

 

君は1980年代のジャパニーズ・パンクロックのような熱いライブをやりたいと思い、ある音楽レーベルに入る。

 

そのレーベルは、オールジャンルを謳っており、君は自分のやりたい音楽をできることに安堵する。

 

すると、マネージャーの尽力で所属レーベル内の複数のバンドで行う対バン形式のライブへの出演オファーをもらう。

 

自分の好きを追求し、納得のいくまで何度も練習を繰り返す。

 

いざ、ライブが始まると、流れてくる音楽は洋楽、それもフュージョンやジャズのインスト曲ばかり。

 

君は磨きに磨きをかけたパンクロックを披露するも、いまいち盛り上がらない。

 

ライブ後、肩を落とす君に、事務所社長が声をかける。

 

「君、熱唱するのはいいんだけど、動きが多すぎるんだよね。いい声はしてると思うから、もっと落ち着いた曲やりなよ。最近は洋楽っぽいおしゃれなやつが流行りだから。そっちのが受けいいと思うよ。」

 

それ以降、君がパンクロックを封印し、流行りに乗り、まとまりがよくキャッチーなポップスばかり出すようになるとしたら、これは適応と呼べるか。

 

こんなもの断じて適応ではない。

 

そんな信念の欠如した選択が適応だなんてあまりにも馬鹿馬鹿しすぎる。

 

これは適応などではなく、甘ったれた恭順に過ぎない。

 

信念を捨て、周囲のルールや世間の流れに盲目的に従うだけの、中身の空っぽな移ろいに過ぎない、恭順。

 

適応と恭順。

 

境目を見分けることは容易ではない。

 

我々はどこまでが成長の糧となりうるか、どこまで他人を取り込んでもいいのか、常に考え続ける必要がある。

 

確かに、他人の意見に従えば、責任は自らの元を離れていく。

 

確かに、周囲に媚び諂えば、容易に賞賛を得られるだろう。

 

その甘美な魅力にあてられて、少し心を許すと、気づいた時には恭順に堕していることも度々である。

 

しかし、ドーピングの効力はそう長くは持たない。

 

綺麗なバラには必ず棘があり、聖人君子には必ず裏があり、覚醒剤には必ず副作用がある。

 

我々は、気をつけなければならない。

 

我々は、努力しなければならない。

 

シビアなこの現代社会の渦に飲み込まれ、藻屑となり消え果てぬよう、適応し続けようと。

 

そんな中でも自分を保つことを忘れず、恭順に堕さぬよう、常に自分を顧み続けようと。

自己犠牲と書いて何と読む

 

働くのが好きだ。

 

なんていうと、星野源の「働く男」かと思ってしまうけども、働くと言っても仕事をするという意味ではない。

 

僕が好きなのは、例えば、飲み会とかでみんなが呑んだくれている時に、あえて自分はセーブして、ゴミを片付けたり、会計をしたり、酔いつぶれた友人を介抱したり、、、そういう働き方だ。

自分がやる必要はない。

 

でも、誰かがやらなければならない。

 

そんな時に、率先して面倒ごとを引き受けるのが一番気持ちがいい。

 

気づいてもらわなくたっていい。

 

誰かが見てくれて、評価してくれているかも知れない。

 

その事実だけで承認欲求を満たせるし、もし本当に誰かが気づいてくれていたのなら、その時には上がった好感度を大事に胸に抱えて、毎日を楽しい気持ちで過ごせるものだ。

 

どうやら自己犠牲とは自己満足のことらしい。

 

みんなが面倒臭がってやらないことをする。

 

それだけでいい。特別なことはいらない。

 

みんなが楽しんでいる空間が目の前に広がっている中、あえてそこから一歩身を引いてみる。

 

同じ集団にいるはずなのに、なんだかすごく孤独な気がする。

 

仲間が正気を失ってゆくのに逆らって、自分は正気を取り戻す。

 

そうして、冷静に、周りを見渡す。

 

床に中身の入った缶チューハイがあるなあ。

 

あ、あそこのテーブルの角にあるからあげ、もう冷えちゃって誰も食べなさそうだ。

 

え、なおきとゆりかちゃん、2人で額を合わせながら見つめ合ってるよ、、、。

 

実は付き合ってたりして。

 

、、、こんな風に、少し冷静になって周りを見渡すだけで、今まで気づかなかったことが沢山浮かび上がってくる。

 

気づかなくていいことが浮かび上がることも度々だけど。

 

飲み会なんかは顕著で、というのもやっぱりみんな酒に酔うと素直になるみたいで、結構その人の素の部分が見られることが多い。

 

無防備になる人が本当に多い。

 

そういう時に自分まで正気を失うのってなんだかもったいない気がする。

 

せっかく普段着飾っているような人たちまで、警戒心を解いて、弱みを見せちゃったりなんかしちゃったりしているんだから、ぜひ見届けたい!って思うのは意地が悪いですかね?

 

まあ、僕はそんな感じで、いつも周りの熱狂を遮っては、1人異世界へと迷いんこんでしまった主人公気取りの自分に酔いながら、人間観察なんていう口に出すと小っ恥ずかしい行為を、人知れず行なっているのである。

 

しかし、考えれば考えるほど、あの孤独感の持つ奇妙な高揚感・清涼感が、とても不思議に、そしてもの悲しく思えてくる。

 

それは、きっと、所属の矛盾から生まれるものなのだと思う。

 

肉体は社会的にその集団に属しているのに、精神は集団の外から俯瞰を決め込んでいる。

 

それはある種達観した行動で、いわゆる「大人」な行動だから、やっている自分はどこか優越感に浸り、快楽を手にする。

 

でも、それは同時に、自分が所属しなければならない集団に所属しきれていないという、いわゆる「子供」な反抗でもあり、そんな自分の不甲斐なさを痛感させる。

 

そして、本人は自らを省み、自分は集団という社会に不適合な人間なのではないかという苦悩にさらされるのである。

 

この両義性が心地よく、エキサイティングで、でも、どこか切なさを感じさせるあの孤独感の正体なんだろう。

 

、、、なんてかたいこと書いても仕方ないか。

 

もう少しやわらくしないと、誰にも伝わんない、ただのオナニーで終わっちまうぜ。

 

色々くどくど書いては見たけど、結局俺は話すのが苦手だってこと。

 

つまらないプライドも捨てられずに、「やだ、つまらない男ね」って思われるのが怖くて、ただ黙りこくって、縮こまるだけで何もしない。

 

そのくせに一丁前に得意な話を振ってもらえるのを待っていやがる。

 

そんな逃げ腰のチキンに誰かが構ってくれるはずもなく、居場所を失った負け犬は、免罪符としての雑用にしがみつく。

 

ただ、それだけのことだ。そうだろ?

 

こうやって、何でもかんでも理屈付けて、臭いものに蓋をしながら、自分を正当化するの、そろそろやめたほうがいいぜ?

 

まあ、それが気持ちいいっていうドMにはお似合いかもな。

 

自己犠牲はただのオナニーなんだから。

幸せはそこにある

 

今日はついてない日だった。

 

帰省から帰ってきたんだけれど、まあ、まず寂しい。

それだけでも憂鬱なのに、駅に着いて新幹線の切符を買おうと思ったら、大行列。

自由席を買って乗車するも、台風で遅延。

おまけにスマホの充電は切れるし、挙句充電器を家に忘れる始末。

かと思ったら、大宮駅に到着後、川越線が運転見合わせで、バスに乗ることに。

駅員さんに西口4って教えてもらったけれど、分からん。

バスはいずこ。ウェアイズアバス。

試しに外に出てみたら、帰宅難民で溢れている。

タクシーもバスも大行列じゃないか。

スマホもないから、何線が動いてるかもわからないし。

暇そうにしていた駅員さんに聞こうとしたら、先越されて、待ってる間にどんどん抜かされるし。

いや、さっきまで聞くそぶりもなかったじゃん!

もっと早く聞いとけよ!

これこそ「俺が先」だよ!

結局、追加料金を払って池袋まで行って、折り返して普通に帰ることになってしまった。

折角川越行きの乗車券を買ったのに。

うーん、悔しい。

まあ、仕方ない。たった800円ぽっちくれてやれ。

割り切って新宿行きの埼京線に乗ると各駅だった。

星野源のエッセイも読みたいところだし、これはまあいいだろう。

池袋まで長いなあ。

ほぼ終点じゃないか。

池袋で降りれば東上線一本で帰れるなあ。

でも、米澤穂信先生のサイン本が新宿の紀伊国屋書店に入荷されたばかりだということを思い出し、どうせ一駅だから、と新宿まで足を運ぶ。

しかし、道がわからない。

ああ、まず、公衆電話で家の人に電話しないと。

電話ボックスどこだろう。

駅員さんに聞こう。

改札はどこだ?

うーん、結構遠いけど仕方ない。

改札まで5分ほど歩き、駅員さんに公衆電話の場所を聞く。

「公衆電話ですか。駅の中にはあるんですけど、外だと高島屋の方ですね。」

反対じゃないか。

もうやだ。何これ。

肩を落として公衆電話に行く。

用を済ませ、看板に従っていざ紀伊国屋書店へ。

ビルの中にあるらしいけど、、、

ん?紀伊国屋シアター?

シアター?

7F?

なんか違くない?

ハンズの入り口を自動ドアの内側で守る警備員さんに一応話を聞こうとすると、ドアには閉店の文字が。

閉店?

え、じゃあ、紀伊国屋もやってなくない?

シアターってあるし無理かなあ、とか思ってたけど、どのみち無理じゃない?

しかし、諦めたくはない。

折角新宿まで来たんだ。

何か来た意味を残していきたい。

もう一度地図を見る。

ああ、なんだ、本店は別のとこにあるじゃない。

よし、今度こそ。

、、、待てよ。

今何時だ?

時計を見ると21:20だった。

果たして紀伊国屋書店開いてるのか?

調べるか。

あああ!!スマホの充電なかった!!!

くそ!!ついてない!!

ええい、もう行ってしまえ。

だって、天下の新宿だよ?

よく知らないけど、繁華街なんでしょ?

本屋でも22:00くらいまでならやってるに違いない!

そう思い込んで、少し早足、鼻歌交じりで紀伊国屋書店に向かった。

道を間違えないように確認しながら、目印のビックロを過ぎ、信号待ちをしながら交差点越しにいよいよご対面。

よし、2Fか。

電気はついてるな。

ええと、どこから入るんだろうか、、、

ん?外のエスカレーター封鎖されてる?

なんか張り紙貼ってない?

いやいやいや、きっと同じビルの別の店だよね。

薬局とかカルチャースクールとか美容院とかさ、よくわかんないけど、そんな感じの入り口なんだよねきっと。

紀伊国屋が閉まってるわけないし。

新宿だし。

電気ついてるし。

あれ?1F暗くない?

1Fも書店っぽくない?

信号が青になった。

小走りで張り紙に向かう。

張り紙には、閉店の2文字。

 

ええ、、、

 

ええ、、、

 

人間ショックを受けるととりあえず鼻歌は止まるらしいです。

ただただ徒労につぐ徒労を重ね、散々時間を無駄にした僕ですが、まだ諦めませんでした。

そう、隣にはブックオフがある!

せめて、ブックオフであの星野源に影響を与えた松尾スズキ先生のエッセイを手に入れてやる!

もう心身ともにヘトヘトの僕を、何か爪痕を残そうとする意思が突き動かす。

ついに、店内に入ろうとしたその時目に飛び込んで来たのは、臨時休業の4文字。

完全敗北。

台風おそるべし。おそるべし台風。

台風に弄ばれるだけの1日でした。

こんな日は、黒髪ショートで、ノースリーブの黒いワンピースに、赤いハイヒールを履いた、色白の目がぱっちりした美人との運命的な出会いでもないと割に合わない!

すれ違いざまに転んだ彼女が手に持ってたコーヒーを手放して、溢れたコーヒーが僕のジーンズにかかり、慌てふためいている彼女を笑顔で許して、弁償するといって聞かない彼女を宥めながら、なんやかんや連絡先を交換して、、、

なんて、アホなことを考えていましたが、結局何かあるはずもなく、ただおじさんの隣で星野源のエッセイを読んで日常に戻ったとさ。

ほんとついていない日だったなあ。

 

いや、まあ、悪いことばかりではなかったよ?

新幹線の切符買う間東海オンエアのキーワード探して応募できたし、自由席は座れたし、なんなら埼京線ですら座れたし、お陰でエッセイ読破できてめちゃくちゃ充実した刺激もらったし。

ああ、あと、新宿駅の夜風が、夏の湿った匂いを過ぎて乾いた秋風になっていたのを肌で感じられて凄く気持ちよかったなあ。

 

あれ?

思いのほか楽しいこと多くない?

 

なんか、今日一日ついてないことが多かった気がしたけれど、不運から生まれる幸運もあるらしい。

悪い出来事は印象に残りやすい。

心地よい出来事は忘れやすい。

日常には心地よい瞬間って沢山あって、でもそれって肉体的な記憶だから意外と長く保てない。

でも、悪い出来事は精神に傷をつけて、深く長く自己にこびりつく。

だから、人は悪いことばかり思い出す。

でも、忘れないようにしたい。

日常には、心地よい瞬間が沢山あること。

それは本当一瞬で気付きにくいということ。

逆境の中でも、人はきっと、何か楽しみを見出して、生きている実感を明るく彩ることができるように作られている、ということ。

辛い時こそ、目の前に現れた幸せの断片に気づけるようになりたい。

痛みに耐えながら、必死に、断片をかき集め、最後には「ああ、あの時はバカだったなあ」って笑っていたい。

きっと、断片が揃っていることには気づかない。

その笑いが断片でできているのだとは気づかない。

だが、それでいい。

幸せとは気づかないものなのだから。

そこにある日常こそが、幸せなのだから。

 

 

最後は、真面目にしめましたが、今日はちょっと変わったテイストで書いてみました。

ガッツリ星野源さんの影響です(笑)

この先も様々な工夫を凝らしていきたいと思います。

、、、なんて「あとがき」めいたことを書こうかとも思いましたが、気持ち悪いですね。

(笑)とか特に。

もう眠いしいいや。

今宵(いや、もう今朝か)はここまで。